夫と二人暮らしの40代兼業主婦です。
7年前に夫が脱サラして2人で会社を始めました。
美容やお金のことを中心に日々のことを書いています。
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乳腺外科の経過観察
半年前に、左胸の痛みが気になって乳腺外科を受診しました。
その時は小さな嚢胞があるだけで今のところ心配はいらないとのことで、6ヶ月後の経過観察となりました。
先月、そろそろ経過観察の日ですよと、親切にもはがきでお知らせが来たので、予約をして、今日、マンモとエコー、触診をしていただきました。
結果、前回と変化はなく、「次回は1年後でも良いけどどうする?」
と尋ねられ、
「今年は母が乳がんになったのと同じ年齢なんです」
と答えたら、
「じゃあ、半年後にエコーをしようね」
と優しく言ってもらえました。
私が行っている乳腺外科は、以前の記事にも書きましたが、検査一つとっても、とても配慮があって、患者さんに寄り添ってくれていると感じられる場所です。
母と乳がん
母が乳がんになったと知ったのは、私が中学3年生の時でした。
最近父から聞いて知ったのですが、
「胸を取るくらいなら死んでもいい」
と母は言ったそうです。
父は、
「生きていてくれたら何とかなるんだから手術はこらえてくれ」
と言って説得したそうです。
母がそんな葛藤をもっていたとは知りませんでした。
当時は、ネットも普及していないし、再建手術なども現実的ではなかったと思います。
美意識が高かった母
母は、いつもきれいしていて(美人という意味ではなく)、外見を整えることも好きでした。
父はそういう母のことが好きだったそうで(それも最近聞きました)、それを聞くと、母にとって乳がんになったことはどれほどショックだっただろうと思います。
母にいつも注意されていたことをふとした時に思い出します。
ご飯を食べるとき、
「こういう風に食べるときれいなのよ」
とか、歩いているときに、
「姿勢が悪いと良くないよ」とか、
「さわらちゃんは足が短いからそういうのは似合わないわよ(辛らつ・・)」
とか。
「若いときは肌が綺麗だからファンデーションは塗ったらだめよ」
「食事が大事なのよ」
「外見をいくらきれいにしても、意地悪だったら顔に出るんだよ」
「悪いことしたらブスになるよ」
エトセトラ、エトセトラ。
そして、確実に母の考えは私に受け継がれているのだと、反発していた部分もかなりあったのに気付かされます。
そういう母にとって、胸がなくなる、というのはどれだけショックだっただろう…
今だったらまた違う捉え方、考え方もできたでしょうが、当時は絶望しただろうと思うと今も胸が締め付けられるようです。
田舎の、現代では考えられないような風習が残る場所で、乳がんになったということは、誰にも言ってはいけないことでした。
今は乳がんに対してそこまで恐れることはない
乳がんの治療というのは、母の頃と比べると、ものすごく進化しているんだそうです。
昔と違って、ほぼ治るがん。
罹患する人が多いため、他のがんと比べても進化が著しいと聞きます。
ネットで検索すると、どうしても再発した方とか、進行が早い方の体験談が多いので、恐ろしいもののように思ってしまいますが、ほとんどの方は生きている。
母は、再発を2回して、6年で亡くなったので、私には辛い記憶と恐怖しかないのですが、6年以上前にやはり乳がんになった同世代の親せきに、
「さわらちゃんのお母さんの時代とはぜんぜん違うんだよ」と言われました。
彼女は早期発見のため、抗がん剤もいらず、ホルモン治療のみ続けているそうで、仕事も辞めておらず、元気そうです。
どれだけ気をつけていても、病気になるときはなる。
私はこわがりなので、食事や運動などリスクを減らせることはがんばりますが、もし何か病気になっても、恐怖に支配されず支えてくれる人に全力で頼りたいと思っています。
医療は「治って欲しい」という思いで進化しているのです。
と、こんなにも重めに書いてしまうくらい、今日の検査で異常がなかったことにホッとしたのでした。
午後から普通に仕事だったんですが、取引先の方の前で書類にサインしたとき、まだ動揺が抜けてなかったのか字が震えてしまいました。
コメント
安心できる結果で良かったです!
お母様のエピソード、もっと聞かせて欲しいなと思いました。
さわらさん同様、素敵な方ですね。
にじますさんへ
こんにちは。
おかげさまで何事もなくほっとしました。
母の話、うーん、、、という感じです。