脳梗塞で倒れた後期高齢者の父のあまりの愚かさに感じる怒りと哀れみ/私の育った環境(1)

夫と二人暮らしの40代兼業主婦です。

7年前に夫が脱サラして2人で会社を始めました。

美容やお金のことを中心に日々のことを書いています。

※2023/10/17に後期高齢者の父が脳梗塞で倒れて入院し、その対応に追われています。

子どもの頃から父のことで問題が多かったので、今回の件で父と頻繁に関わるようになったことに、やや疲れ気味です。

愚痴が多くなってしまうこと、お許しください。

※最近何かと負担が大きいのでヨシケイのお試しを利用しています。

料理の写真などはインスタグラムで更新しています。

今週は忙しすぎて買い物に行けないのでヨシケイを頼むことにしました。
10月に後期高齢者の父が脳梗塞で倒れて以来、ブログの内容に父のことが多くなってきました。 愚痴っぽくなることも多いかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。 忙しすぎて買い物に行けない 3連休は、2泊3日で旅行に行っていました。 通常...

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見えない目で運転する後期高齢者

父は、ここ数年目が見えにくく、白内障の手術をした後も父が思っていたほど見えるようにはなりませんでした。

手術の前に、父の目には少し問題が合って、手術をしてもうまく視力がもどるかわからないど医師に言われたのですが、父は自分の思い込んでいることしか信じないので、注意事項を理解できません。

父が、手術後の目薬をきちんとさせるとは思えなかったので、私は目薬にメモを付けたり、術後にかけるメガネを掛ける練習をさせたりした上、毎日メールや電話で目薬をさすよう伝えていました。

「そんなことわかってる」

「眼鏡のかけ方くらい分かる」

私が何か言うたびに文句を言う父に腹が立つのをこらえがら、何度も術後にしてはいけないこと、しなくてはならないことを伝え続けました。

術後1週間は運転ができないので、宅配のお弁当を手配したり、スーパーで食べられそうなものを買ったり、欲しい物をたずねたり。

「絶対に運転しないで」

と何度言ったか分かりません。

でも父は、術後3日目から「運転できる」と言い、コンビニやスーパーに車で行っていました。

どれだけ説明しても、説得しても、食べ物を持って行っても

「運転できる」

の一点張りでした。

「急に何か食べたくなること、あるやん」

とあっけらかんと言われて、あきれて返す言葉がありませんでした。

そして、結局術後視力は裸眼0.4程度までしか上がらず、父は何度もメガネを作り直したそうですが、おそらく視力がかわらなかったのでしょう、最終的に度が入っていないメガネをかけていました。

もともと、かなり前から白内障の手術を勧められていたようですが、「こわい」「したくない」と言ってずっと拒否していたのです。

そのことで進行がすすみ、手術自体が難しいという自体になっていたのでした。
人から提案されたときには、まず断り、本当に困ったり手遅れになって初めて解決しようとすることが愚かな選択だと、なぜ気づいてくれないのだろう。

父と接するといつも思います。

どうしてその選択肢を選ぶの?どうして?

と。

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嫌なことからはすべて逃げる

以前にも書いたと思いますが、私の実家は母方の祖父の土地に建てたもので、父はマスオさんみたいな状況でした。

(お婿さんじやないけどお婿さんぽい扱い)

母が亡くなって、父は実家にいる意味がないと考えたのか、家のローンを払うのをやめました。

誰にも言わずにそうしたため、実家には突然

「家を競売にかけます。」

という知らせが来て、母の死後、実家に住んでいた私のきょうだいは狂乱状態に陥りました。

結局、私と私のきょうだいでお金を出し、家の名義を変更することになりましたが、「家を出るので、家のローンは払わない」と言ってくれていれば、私が何とか調整したはずなのになあとたまに思い出します。

そしてこのときのことを思い出すのは結構キツいです。

まだ20代前半で学生だった、実家から離れていた私は、その知らせの前にすでに不安を感じていて、地元の税理士さんのところに相談に行く手はずを整えていました。

私も同席しましたが、父は「大丈夫です」しか言わず、私も状況がはっきり把握できていないながらも、自分が不安に感じていること、実際に金銭的な問題が起きていることを必死で伝えました。

税理士さんからはアドバイスをいただきましたが、「それはしません」と拒否するだけで、もちろんアドバイスに従わなかったので家のローン以外でも大変なことになりました。

それがきっかけで私のきょうだいは父と一切関わることを拒否するようになりました。

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市のサービスも私の提案も拒否する父

さて、父は、手術後視力が上がらない中でも、

「運転はできる」

と言い、運転をやめなかったので、私は市の乗り合いタクシー(自宅から最寄りのスーパーや病院に数名を乗り合わせて送ってくれるサービス)に登録し、大きなメモや説明、電話番号などを書いた紙を父の部屋の壁に貼り付けました。

父に事前に説明し、登録後も

「嫌かもしれないけど、運転がこわいときもあるでしょう?

便利なときもあるかもしれないよ」

という感じで老人扱いしないように慎重に勧めました。

でも、

「そんなものは絶対に使わない」

と言われました。

「どうして?電話したら家まで来てくれるよ」

と優しく言っても

「そういうのは使わないと決めている」

と強く言う父。

「タクシーみたいなのだけど、市のサービスだから安いんだよ」

と高齢者扱いしないように伝えたつもりでしたが、駄目かーという思いでした。

父に優しくいうのにだいぶ努力がいりますが、きつくいうと父は心を閉ざして何も聞こえなくなるので優しく言うしかありません、たまにこらえきれないときがあります。

父に運転をさせないために、わたしはいろいろ提案をしたつもりです。

1,スーパーの近くに引っ越し買い物に車がいらないようにする→引っ越したくない

2,軽費老人ホーム(ある程度自立している、低所得のひとが入れる施設。トイレ付き個室で、お風呂は大浴場利用、食事は食堂で提供される)への入居→今はまだ早い

※これに関しては父の意向をうっすら聞き取りながら、父に向きそうな施設をピックアップし、問い合わせの電話もして、父が良いといえばすぐ手続きを進めるつもりでした。

3,市の配食サービスを利用する→利用開始まではできたが、すぐに解約されてしまう

いつか、父が車の運転で人を轢いてしまうかもしれないという心配をどうやったら父が理解できるのか・・・

ずっとずっと運転が懸念事項でした。

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入院してからのまさかの告白

きのう、父が入院している病院に行ってきたんです。

すると父が

「眼鏡をつくりなおしたい。遠くが見えない」

「前の眼鏡は捨てた?あのフレームで、レンズだけ作る」

と突然言い出しました。

私は、

「白内障の手術、2回したよね。でも、視力が戻るのは難しいと言われたんだよね」

と答えました。

父は1回目の手術で見えるようにならなかったため、別の病院で私には事後報告で再手術を受けました。

(さしていない目薬と飲み薬がたくさん部屋に残っていました)

「そうなんだけど、老眼鏡をかけると近くはみえるから、眼鏡で遠くもみえるはず」

と。

そう思い込んで、過去に何度もメガネを作り直して、それでも見えなくて度なしのフレームだけをかけてたんだよね??

でも、

「眼鏡をかければ見える」

と何度も言うのです。

結局、今入院している病院の眼科に受診できるか主治医に相談することになりました。

だけど、入院する前も眼科に通っていたのに、なぜ眼科医にはそのことを言わず、私に訴えてくるのか意味が分かりません。

そして、

「このままじゃ車の運転もできないし」

と言い出しました。

(すでに運転免許証は返納済みです、また別記事にします)

「前に、さわらが言っていた(市の乗り合い)タクシーに電話したけど、家までは来てくれないと言われた。スーパー◯◯まで来いと言われたけど、そんなところまでいけるわけない」

「あれはだめだった」

というのです。

私が、「あれは自宅まで来てくれるようになっているよ。スーパー◯◯に連れて行ってくれるんだよ」

というと、

「自宅には来ないと言われた」

「あれはだめだ」

と。
結局、そのサービス使おうとしてたんじゃない!!

どうして、そのときにそう言われたと私に言わなかったのでしょうか?

※実際には、自宅まで来てくれるサービスで、スーパー◯◯に行くことができます。

もし、そのときに私に報告してくれていれば、私が父にもう一度説明したり、かわりに私が市のサービスに電話したりできたはずです。

なぜ、必要な時に話さず、手遅れになった今になってそんな事を言うのか。

長いので(2)に続きます。

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