
夫と二人暮らしの40代兼業主婦です。
7年前に夫が脱サラして2人で会社を始めました。
美容やお金のことを中心に日々のことを書いています。
※2023/10/17に後期高齢者の父が脳梗塞で倒れて入院し、その対応に追われています。
子どもの頃から父のことで問題が多かったので、今回の件で父と頻繁に関わるようになったことにやや疲れています。
愚痴が多くなってしまうこと、お許しください。

の続きです。
※最近何かと負担が大きいのでヨシケイのお試しを利用しています。
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他の人なら心が壊れているかも
今回の父の目に関する話は、高齢者あるあるだと思うんですが、父が入院してから接する時間が長くなり、父の主張の連続についていくのがきついなーと思うことがあります。
高齢者のわがままとも取れる訴えなら、以前の職業柄(高齢者福祉の仕事でした)慣れていて対処できますが、それが子どものころの記憶と重なると、
「父に優しくしたい私」
と
「父と関わると自分に被害が及ぶので逃げたい」
という相反する感情が生まれます。
そのギャップが大きくなりすぎると危ないなあと思うんですよね。
多分そうなると精神の均衡が取れなくなると思います。
実際にわたしのきょうだいは耐えきれず縁を切っている状態だし、縁を切ってもなお苦しいときがあるそうです。
耐えられなくても無理はないし、辛いだろうなとも思います。
そして、私が父の面倒を見ているとに申し訳無さを感じたり、なぜサワラにはそれができるのか、どうして自分はできないのかと思ったりするときもあるようす。
きょうだいにそう思わせているかもしれないことが、私も申し訳なくて、父のことをいつ切り出すか、切り出さないかについては悩んでいます。
ただ、私自身は大学・大学院で社会福祉を学び、機能不全家庭や社会と繋がれない人への問題に興味を持っていて、事例検討会などにも参加してきたので、父の生育環境から考えると父がそうなったのもしかたがないとも思うのです。
そして、機能不全家庭に育った家の子どもは、福祉や看護など尽くす系の仕事につきがち(尽くすことで認められたい)なこともわかっているつもりです。
実際、私は現場では感情移入しすぎるのと理想が高すぎるのとで、フルタイムで働くには体が持ちませんでした。
今はもうそんな情熱は持っていませんが、「介護福祉学を確立すること」「介護が専門的な職業として認められるような教育体制を作ること」が大学院でのテーマで、研究者になるつもりでした。
(※20年以上も前の話なので、理想が若過ぎて馬鹿すぎて思い出すと恥ずかしい若い思い出です)
なので、父と関わることで、昔持っていた情熱の一部が昇華されるような気がするのです。
福祉を学んでいなかったら、父と関わることはできなかったと思うし、縁を切ってしまったらそのことでものすごく苦しむし、自分のきょうだいのことも恨んだのかもしれません。
夫の支え
父が入院してから、夫は私が父のところへ行ったり手続きをしていると、
「よくがんばっていてすごいと思う」
「お疲れさま」
などとねぎらってくれ、病院から帰ってきたときにはお茶を淹れてくれたりします。
私の大きな支えとなってくれています。
夫がこういう人でなければ、父に対応する余裕はなかったかもしれません。
「そんな苦労をかけさせたお父さん、放っておけば」
などということは口にせず、
「僕はお父さん、好きだよ」
とポジティブに言ってくれ、父も夫には信頼を寄せています。
他人としてなら、父はかわいい、面白いおじいちゃんではあります。
以前、夫の前で
「便秘に深呼吸が良いって聞いたから、深呼吸をしているんだけど、全然効かないんだよ」
と父が深呼吸をしてみせたときには、思わず顔を見合わせて笑ってしまいました。
何からの情報なの!?
でも、実際には私が病院に連れていくと、医師の前では「お通じは普通です。便秘はありません」といい、帰ってきてから「便が出なくて辛い」と何度も私に訴えるような人なので、家族としては辛いです。
深呼吸するより、下剤をもらうとか、食生活を変えるとか、大腸カメラを受けるとかをしてほしいのに。
なんでそこで深呼吸を選ぶのよ!という怒りもあとからたまに出たりします。
自分のことを褒めることで父と関われる
父が入院して以来、自分を褒めることが多くなりました。
自分でも、本当によくやっているなーと思うし、なんでこんなにやれるんだろうと不思議に思ったりもします。
私ってすごくできるひとなのでは、と思ってみたり。
心の防衛本能か何かで褒めないと心がもたないのかな??
仕事に関しても、今までパート程度しかできていないと思っていたけど、実は仕事の大事な部分にかなり関わっているんだなと思えるようになりました。
仕事できる時間が短くなって、凝縮されるからそう思うようになったのか、その辺はよくわかりません。
父との問題が起きていたのは、私が高校生~20代前半までです。
そこから20年以上が過ぎ、私も色々な経験をして当時より成長したんだと思いたいです。
生育環境と価値観
こどものころは両親にあまり褒められたことがなく、母からはいつも
「さわらちゃんは頭が悪いから人の10倍努力しないと普通にできないよ」
とか、成績がどんなに良くても、
「さわらちゃんの学年は頭の良い子が少ないから1番でも10番くらいよ」
と言われていて、
実際、学校の成績は良いのに、模試だとガクッと成績が落ちて先生から「どうしたの?」と聞かれたりしていて、私も自分は頭が悪いと思いこんでいました。
たぶん、私は発達の凹凸が結構あって、いつもと違う傾向の模試だと対応できずパニックになっていたんだと思います。
今では、自分には得意なところと不得意なところに差があるために混乱が生じているのだ、ということが分かるのですが、当時は自分は他の人より頭が悪いから、そうとう頑張らないと普通にできないと思っていました。
その時の私に、「そうじゃないよ」と声をかけてあげたい、と今でもよく思います。
誰でも得意不得意はあるのに、全部「普通に」できないといけないと強く思っていて、それは母が少しでもできない部分があると怒ったり悩んだりしていたからです。
容姿に関しても、結構ひどいことを言われていました。
厳しくしつけてもらって感謝している部分もありますが、見た目に関しては変えようがないので、高校生の頃は容姿に悩んでいたし、自分は頭が悪く良いところが何もない人間だと思っていました。
でも、大学で自宅から離れ、たまたま美容院のカットモデルをさせてもらったことや、個性的な友人ができたおかげで、
「美しさには色んな種類があって、どんな人にも美しいところがあって、それを生かせるかどうかだ」という価値観を持てるようになりました。
また、大学でもすばらしい教授に出会ったたおかげで、「自分はだめな人間だ」という呪いからもだいぶ開放されたと思っています。
「私は頭が悪いから、将来本当に仕事ができるか不安です」と相談した際、
「指導していて、頭が悪いと思ったことは一度もないし、視点はとても良いものがある。大学院に行ってもっと学びたいなら、しっかり指導するよ」
といってくださいました。
私が大学3年生のときに母が亡くなり、ショックで気力を失っていたときにも便宜をはかってもらい、そのおかげで私は再びやる気を取り戻すことができ、卒論は学会で発表させてもらえることになりました。
学会発表のための旅費や宿泊費も教授が出してくださり、
「発表する価値があるから援助する」
と言われたことを覚えています。
これは、私だけがそうされたのではなく、私の先輩にも後輩にも教授から後押しや経済的援助を受けた学生がいて、人を育てるってこういうことなのかと教授のすごさを感じたのでした。
情熱的な先生は他にもたくさんおられて、特に
「批判されることは悪いことではない。常に批判する気持ちを持って物事をみなければならない」という基本の考え方を教えてくださった先生がいらっしゃらなかったら、今の私はなかったと思います。
何かの情報を見た時に、それがどこから出たものなのか、信頼度はどのくらいか、ということや、それに関する資料の探し方など、研究する上で大事なことをたくさん教えてくださった先生で、この先生に教わっただけでも大学院に行く意味があったと思っています。
また、私の持っている資格は社会福祉士という地味なもので、実際私はその資格を活かした仕事ができたとは言えませんが、クライエント(問題を抱えている当事者)と、その人をとりまく環境を調整して、その人に必要な援助ができる機関とつなげるのが社会福祉士の役目だと思っています。
そういうことを中心に学んだことが、結局自分にはとても良かったのだと思います。
私の母は、発言に大いに問題があったことは確かですが、同時に「できるだけ良い環境で学ばせたい」という風に考えていて、習い事1つとっても、地域で一番良い先生を、と探してくれました。
それができたのも、父が仕事に対してだけは情熱を持ち、稼いでくれていたからです。
また、大学進学時に授業料をすべて援助してくれた祖父が、お金に関する考え方を折りに触れ話してくれていたことも、今の私を形成してくれています。
父の良いところ、母の良いところが自分の中に確かにあると感じるし、周りの環境に恵まれたことには感謝しかありません。
両親のどちらも私にものすごくつらい思いをさせたけれど、大人になって、そうなってしまった心境も想像できなくはないし、父に対しても母に対しても、怒りと同時に、可哀想に。と思う気持ちもあります。
子どもに幸せになってほしいとは思うけど、どうして良いか分からない部分も大きかったのでしょうね。
当時は情報もないし、時代的にも仕方なかった部分もあるとは思います。
父に対し、色んな感情が湧き出て苦しいときもありますが、やはり今の自分があるのは両親のおかげだ、という気持ちも大きいのだなと、書きながら感じています。
ブログを書き始めるまでは、かなりモヤモヤしていて、その感情をどうして良いかわからなかったのですが、こうやって生育環境を振り返ってみると、まあそういう感情になるよね、と腑に落ちたように思います。
長い長い、私の独り言を読んでくださった方、ありがとうございます。
また、いつも私が悩んだり困っているときには、ちょうどよいタイミングでみなさんがアドバイスしてくださったり、褒めてくださったりするのが、とても不思議なのですが、そのことにもとても感謝しています。
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